大学における研究とは(2012年2月)
2012年2月度のビデオメッセージ
皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。
ここ数年、世の中はいろいろな方向に動いてきていますが、その顕著な一つの方向は、大学、そして研究者は、例えばエネルギーの問題や、あるいは環境問題など、世の中の役に立つ研究課題にもっと力を入れて取り組まなければいけないという大きな流れではないかという気がします。
ただ、もちろんそのこと自体は非常に大事ですけれども、基礎科学を含む大学での研究に、我々は、あるいは人々はいったい何を求めるべきなのかという問題があるのではないかという気がいたします。これは100年、200年、300年、400年という、人間の暮らしからみると非常に長いスパンの研究の流れを振り返ってみたときに、私はつくづく感じることです。
例えば400年前にガリレオ・ガリレイが「落体の法則」をみつけました。地球上で物はどのような法則に従って落ちるのかという実験を通して、その後の「万有引力の法則」のもとになった、物体が落下する法則性を見出しました。そのときに、ガリレオは何を目指して彼自身の研究をしたのだろうかということを考えてみますと、それが何かの役に立つという意識はほとんどなかったのではないかと考えざるを得ません。ただ、ガリレオがみつけた「落体の法則」が、その後、ニュートンによって「万有引力の法則」としてさらにきれいに高い立場から法則化され、それが実は現代社会を支えています。
例えば、いろいろな通信衛星や、あるいは空中を飛行するロケットを含めた飛行機等々は、紛れもなく現代の我々人間の社会、そして経済活動を支えています。しかし、その出発点は、本当にそのようなものを作ろうとしたのではなくて、私達の地上ではいったいどのような現象がどのような法則性によって起きているのかという非常に純粋な好奇心に基づいた、虚心坦懐に自然を探求していく心の中から、そのような成果は生まれてきたといって間違いではないのではないかと思います。
このことは、向こう100年、200年の、これからの人間社会にも等しく当てはまるのではないかと考えざるを得ません。研究の大部分が2、3年、あるいは4年のうちに、どんどん目に見える成果を出し、例えばエネルギー問題が解決され、環境問題が克服される、もちろんそれは非常に大事なことですが、それは全体のある限定された割合の研究に求められることではないかという気がします。学問は300年、400年先にどのようにつながっていくのかわからない、いまこの瞬間にはその影響がほとんど読めない研究を行っていくことによって、初めて想像をはるかに超えた人間社会の発展があるのではないかと、私は常々考えています。
このことを皆さんにお伝えして、今月のメッセージとさせていただきます。ありがとうございました。