ガリレオ・ガリレイ(2012年10月)
2012年10月度のビデオメッセージ
今月のメッセージをお伝えしたいと思います。
科学者の端くれとして、ときどき近代科学の歴史を振り返ることがあります。現在の近代科学は、実験と理論をうまく組み合わせて、検証しながら理論を構築していく、また理解を確かなものにしていくという営みです。ただ、例えば1000年前にそのようなことが行われていたかというと、甚だ心もとない、そうではなかったわけです。ですから、誰かが人類で最初に、現代の近代科学の基礎を作った瞬間があったわけです。
400年前にイタリアにガリレオ・ガリレイという天才的な科学者、あるいは芸術家といってもいいかもしれませんが、そのような方がいらっしゃいました。万有引力の発見のもとになる一連の仕事を含めて、宇宙の成り立ちについて、当時は太陽系の成り立ちが中心でしたけれども、近代科学のもとを作ったと考えていいと思います。
ガリレオはかなりの期間、イタリアのフィレンツェという街に住んでいました。いまフィレンツェは観光地としてとてもポピュラーな街で、たくさんの日本人が訪問しているのではないかと思います。私も好きな街の一つで、研究会や国際会議も割と頻繁にフィレンツェで行われていますので、かなりの回数、フィレンツェに行っております。
フィレンツェの街の中央には大きな市場があるのですが、数年前、そこをみに行って驚いたことがあります。いろいろな種類のイタリアのチーズを売っているチーズ屋さんがあるのですが、何と3、4名の日本の若い女性が働いていました。つまり、日本人の訪問客は大変良いお客さんなのです。ですから、イタリアのいろいろなお店、あるいはレストランでは日本人の働く姿をよくみかけます。
そのようなフィレンツェの街には、いろいろなところに「ガリレオはここに住んだことがある」というような標識、マークが何気なくかかっています。ガリレオがフィレンツェという街を愛し、そこで暮らしていた痕跡が満ち溢れた街でもあります。
そして、フィレンツェには南のほうにローマ門がありまして、これを出てさらに少し下っていきますと、「アルチェトリの丘」と呼ばれている小高い丘があります。アルチェトリは隣町といいますか、小さな村です。そこがなぜ有名かというと、一つはアルチェトリ天文台という天文台があるからです。いま観測の場所としてはそれほど意味はないのですが、イタリアの天文学研究の一つのセンターなのです。
数年前、そこを訪問してセミナーを行いました。その後、共同研究者であった方に「近くにガリレオが住んでいた家があるのだけれども、みに行かないか?」といわれまして、みにいきました。天文台から降りて5~7分の距離にある、コの字型をした2階建ての小さな一軒家で、ひっそりとしていました。2階に上がりますと小部屋がいくつかあり、その一つにほとんど窓のない部屋があります。小さな窓が少し開いていて、そこから光が差し込んでいました。この建物はガリレオのお嬢さんのおうちで、実は異端審問を受けたガリレオが、10年以上、幽閉されていました。ガリレオは、1630年前後からそこに長く住まい、そしてその一生を終えたと伝えられていると聞いております。この建物の空気を通して400年前のガリレオの一つの魂の兆しを感じることができたのではないかという、そんな一日でした。
今月のメッセージとさせていただきます。ありがとうございました。