論文の査読制度(2012年6月)

2012年月6度のビデオメッセージ

皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。

一般の方々は、研究者の世界のことをなかなかご存じないだろうと思います。そのような研究者特有の世界のなかから、きょうは論文の査読についてご紹介してみようと思います。

一般の人間関係でも、社会のなかでも、やはり人に批判されるということはあまり嬉しいことではないですよね。人間、どちらかというと、いつも褒めてほしいというのが常だろうと思いますが、研究者の世界では、むしろ批判することによって、それぞれの論文の質を高めていくということが普通です。

特に理科系の場合、例えば物理や天文学の世界も含めて、論文はほとんど英語でしか書きません。英語で書いた論文を専門の雑誌に投稿すると、投稿するのは自由なわけですが、必ず匿名のレフェリー、査読者が付きます。その1人、あるいは2人の査読者は、どこの研究者かわかりません。そのような人に自分の論文が送られていきまして、それぞれのレフェリーから、やがて英語でいろいろな意見、コメント、批判が返ってきます。

そのなかには非常に厳しい意見もあります。例えば「論文は大変内容が良くないので、リジェクトしてしまえ」という意見をいただくこともあります。また、ほとんどフリーパスのこともありますが、多くはその中間で、いくつかの点について、例えば「ここは理解できない」とか「ここはこの論文をちゃんと引用するべきだ」とか「ここは考え方がおかしいのではないか」というような批判をもらいます。それは、だいたいひと月後ぐらいです。

その批判に対して、また1週間、あるいは数週間をかけて答えて、論文の訂正、修正を行います。また、それぞれのコメントに関して、著者としての自分はどのような見解を持っているのかということを回答として用意し、それをまた英語で同じ雑誌社に送ります。そうすると、それが再び査読者、レフェリーに回ります。2回目の修正を要求されることもありますし、大変よく答えてくれたということで、そのまま受理されて、印刷、公表されることもあります。

このようにして、例えば天文学の研究論文は公表されていきますが、実は最初の数回、いろいろ強い批判にさらされると、やはり著者として、研究者として、怒りが湧いてくることもあります。ただし、多くの場合、冷静に考えてみると、大変もっともな反応をしてもらっているということが非常に多いと思います。多少、専門の違う方からのコメントも、結果的には自分の論文を非常に良くします。良くするというのはどのような意味かというと、わかりやすくなって、もちろん間違いが少なくなり、より多くの人に読んでもらえるこなれた表現になります。そのような意味で、実は査読という制度は非常に良い制度なのです。

レフェリーに回る研究者の人達は、自分よりも若いかもしれませんし、年配かもしれませんが、その分野で研究をしている同業者です。多くの場合は匿名で、自分の名前を明かしません。おそらく数十年、50年ぐらい先にはオープンにすることになっていると思いますが、当面はわかりません。また、レフェリーによっては非常によく知っている方で、名前を明かしてもいいという場合も、たまにあります。そのような場合は直接やりとりをして、両者が合意に達すれば、ちゃんとアクセプト、受理されていきます。

このような研究者仲間の相互批判が、研究のレベルをキープして、良い仕事を世に出していくということで、大変良い、長年の知恵なのだと思います。もちろん私自身も、海外の雑誌を含めて、何回もレフェリーを務めておりますけれども、そのような相互批判のなかで研究者は論文を発表しているのだということを、たまには一般の方々も耳にしていただくといいかなと思い、きょうはこのようなお話をしました。

これがどれぐらい一般社会の、一般の方々の役に立つ制度なのかわかりませんが、やはり相互批判は大事です。いろいろな声に広く耳を傾ける、そのような姿勢を崩したくないなという気持ちで過ごしております。

どうもありがとうございました。

【キーワード】 研究・観測