広報誌『理 philosophia』(2010年5月)

2010年5月度のビデオメッセージ

皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。

きょうは理学部の広報誌についてお話をしたいと思います。

広報誌『理 philosophia』というタイトルでして、もうすぐ18号目が出る予定ですが、実は、もう10年近く前に、私はこの広報誌の創設を仰せつかり、ほとんど創刊から編集長をやってまいりました。別のいい方をしますと、理学部の広報委員長という肩書きになるのですが、10年近くやってまいりますと、いろいろ改善すべき点、あるいは見直さなくてはならない点等も出てきます。

それで、ことしの初め、1月にジャーナリズムに関心のある方、このような科学の報道等に造詣の深い先生方、あるいは記者の方々に集まっていただいて懇談会を企画し、私達が10年近く作ってきた広報誌について皆さんのご批判を仰ぎたいということで、自由にいろいろなお話をしていただきました。その内容がまもなく、今月、5月に発行される広報誌にも掲載される予定であります。

この広報誌は内容がかなり堅いものです。大学の研究者が、もちろん社会に伝えようと思って日本語を書くわけですけれども、やはり専門用語を解きほぐして誰にでも理解していただけるように書くというのは至難の技なのです。毎号毎号、非常に苦労しながら、広報委員が執筆者の研究者といろいろなやりとりをしながら、少しでもわかりやすい表現にしていこうと努力していますが、それは大変難しい作業です。そもそも研究者にとっては、どのような言葉が、あるいはどのような表現が一般の方にはわからないのか、あるいはわかりにくいのか、ということがわからないのです(笑)。それを理解したうえで、自分の研究内容を解きほぐしてわかりやすい日本語にしていくというのは、本当に血の滲む努力といっても言い過ぎではないのではないかという気がいたします。

しかし、幸い、その懇談会で出てきた皆さんのご意見は非常に好意的なものが予想外に多かったのです。ある方は「内容が非常に学術的である。浮き世離れしている。世間離れしている。そこが良いのではないか」といってくださいました。実は、もう少しきついご批判を浴びるかと覚悟して私はまな板に乗っていたわけですが、予想外にいろいろお褒めの言葉をいただいて、広報委員一同、ちょっとホッとしたというところでございました。そのときに出たいろいろなご意見を参考にしながら、この広報誌をさらに良くしていきたいと思っております。

そもそも10年近く前に、私も含めて広報委員会が考えたことは、その間に国立大学の法人化があったわけです。それにつながる背景を考えてみますと、大学での研究がいかにも世間に伝わっていない、理解されていないという根深い数十年の負の蓄積があって、大学、特に国立大学はここ10年近く大変辛い立場にさらされてきました。広報誌にかけた一つの思いは、そういうものを少しでも逆向きに転換できないか、社会の広いご支持を少しでもいただけるように大学人も努力を始めなくてはいけない、そのようなところにあったわけです。

広報誌は、名古屋大学理学部の庶務係に連絡していただくと、あるいはホームページを通して、どなたにも無料でお分けしております。どうぞ一度、手にとってお読みいただければと思います。

ありがとうございました。

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