国立大学法人化の波(2010年10月)
2010年10月度のビデオメッセージ
皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。
先月の後半はスイスの学会に出ておりました。スイスのマッターホルンのふもとにある町で、登山をされる方には非常に馴染みのあるツェルマットという観光都市がありますが、そこで5、6年に1回、星間物質の国際会議が開催されております。我々が共同研究しているケルン大学の人達が主催する集まりであるということもありまして、まる1週間、ツェルマットに滞在し、いろいろな国の人達と天文学について議論をしてきました。
そのように世界の場でいろいろ意見交換をすることはとても刺激になります。日本の名古屋大学で研究することももちろん大事なのですが、非常に新しい、次のステップの研究の芽が吸収できる非常に貴重な機会であると、いつも感じております。特に海外のいろいろな研究者と話をするために出かけていって無駄だったと思ったことは一度もないのです。常に意味のある、意義のあることだとつくづく思っております。
一方、大学をみますと、最近、必ずしも楽観できないという気持ちをますます強くしています。数年前、すでに6年ほどになりますか、名古屋大学も含めて法人化が行われました。ここ1年、法人化の功罪をめぐって、いろいろなご意見が出ていたり、あるいは法人化をどのように評価するのかというアンケート調査がなされているようですが、私の目からみると、やはり法人化はやるべきではなかったと、ますます確信を強めています。
結局、法人化は、国立大学を一つの会社に近い組織と見なして、きちんとした独自の経営理念のもとに運営していくシステムをしっかり立てようという狙いはあったのだと思います。そのこと自体には何の問題もないわけですが、それを実際に実行すると何が起きるかというと、法令を遵守することはもちろん大事なのですが、それが自己目的化してしまうのです。そのような本当に些末なことに、どんどん時間と労力が取られていって、結局、大学本来の機能である瑞々しい自由な学問研究、あるいは教育というものが、非常に著しく阻害されてしまいました。そのような反省を私は非常に強く持っています。
いったん、国の制度として法人化してしまった以上、やはりしばらくはこのような形でやらざるを得ません。しかし、例えば私どもは10年前に「名大サロン」を作って、分野の垣根を越えた総合大学らしい学風をどのようにして作っていくかということを、だいぶ議論しまして、理系、文系の壁を取っ払って議論する筋道をつけようとしたわけですが、法人化の非常に大きな波に飲み込まれてしまったという反省が非常に強いのです。やはりみんなでいろいろと議論しながら、次のステップをどのように踏み出すのかを考えていくべき時期だと思います。そのときに、国際的な交流の場のなかから世界的な視野を獲得し、世界の目から日本をみることが非常に大事になると思っております。
ありがとうございました。