アルチェトリのガリレオ(2008年1月)
2008年1月度のビデオメッセージ
皆さん、あけましておめでとうございます。新年のご挨拶を申し上げたいと思います。
ことしもそうですが、これからますます宇宙の研究が進み、21世紀の前半に向けて新しい宇宙の姿がどんどん明らかになっていくと思います。ことしはそのような新しい幕開けの年であるといっていいのではないでしょうか。
しかし、同時に天文学の研究の歴史、そして人類の歴史を振り返るという姿勢を常に持ち続けたいと思います。いまから約400年前、天文学上の非常に大切な発見がなされました。1609年、あるいは1610年頃、イタリアのガリレオ・ガリレイが自ら望遠鏡を作り、木星の衛星を発見する等の非常に革命的な成果を挙げました。
私は昨年の暮れ、たまたまですけれども、イタリア、フィレンツェの郊外にあるアルチェトリ天文台を訪ねる機会を得ました。アルチェトリは、実はもう過去のものになった村の名前ですが、フィレンツェの北(※2012年10月度のメッセージでは「南」)のローマ門を出て少し行った丘の上にあります。ここにも天文学者のグループがあり、私も数十年にわたって、いろいろな形で共同研究をしている人達です。
そして、そこでたまたまセミナーをした後、長年の友人のMalcolm Walmsleyという研究者が、私をガリレオの家に連れて行ってくれました。ガリレオはピサで仕事をしたことで大変よく知られておりますけれども、実は晩年の10年間、フィレンツェ郊外のアルチェトリの別荘で暮らしていました。ちょうど娘さんがその辺りに住んでいらっしゃったということもあったようですが、1931、32年から亡くなるまでの10年間、アルチェトリにいました。
連れて行ってもらったガリレオの家は、上からみるとコの字型の、なかなか瀟洒な2階建ての建物でした。現在は使われていないのですが、徐々に整備が進んでいて、ここで有罪判決を受けたガリレオが、半分、幽閉されるような形で10年近くを暮らしたということでした。2階に上がってみますと、ほとんど壁だけの部屋が2、3部屋あり、非常に冷たい感じがいたしました。小さな光取り、明かり取りの窓がぽつんと一つあるだけで、窓が開いていないのですね。おそらくガリレオはこのような部屋で最後の数年間を暮らしたのではないかと思われます。どのような気持ちで最期の死を迎えたのか、想像を超えるところがありますが、400年を超えてガリレオの一つの息吹、あるいは暮らしの一部に接することができたということで、私にとって大変、感銘の深い訪問でありました。
以上で今月の挨拶とさせていただきます。