空豆〜『なんてんに星を追って。』から(2008年9月)
2008年9月度のビデオメッセージ
皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。
最近、私はこのような本を出しました。『なんてんに星を追って。』というタイトルが付いております。中日新聞の夕刊に「紙つぶて」というコラムがございまして、ことしの1月から6月まで、週に1回、600字ぐらいの短いコラムを執筆しておりました。東京では、東京新聞の同じく夕刊に「放射線」というコラムがあり、それと内容はまったく同じです。全部で20数回書かせていただいて、それをこのように、大変薄い本ですが、まとめたというわけです。このなかには、私の水彩のスケッチなども含めて、全部で24回分のコラムをあらためて収録しています。宇宙の話も含めて、絵や音楽の話、あるいは「UFOは本当に存在するのだろうか?」といったお話を書きました。
きょうは、その最終回の「空豆」と題した一文を朗読させていただき、皆さんに少し雰囲気をお伝えしたいと思います。「空豆」は、このようなページです。コラムには写真は入っていないのですが、本のほうには私の小さい頃の写真などを何点か入れさせていただいております。
「空豆
自然の中に、絶妙な造形を見いだすことがある。私の心を引き付ける妙のひとつは、空豆である。
子供のころの家庭菜園の中で、空豆はひと際、存在感があった。となりのエンドウの線の細さに比べて、空豆は茎も太く、姿が大きい。
近寄ってみると、花はエンドウの花を一回り大きくした豆科の形で、紫と白の彩りがおしゃれである。茎や葉の筋も紫色に統一されている。
この茎がよくできている。切ってみると、思いがけなく中は空洞で、輪郭が見事な正六角形である。これが植物を支える。
普段の暮らしでお目にかかるのは、莢(さや)付きの部分だけである。莢を開くとぜいたくに真綿のような白いふわふわの繊維が三、四個の豆を包む。豆はさらにもう一枚の皮に守られ、ひょうたんを薄くしたような曲面に、指のつめのような筋まで付いている。塩ゆでにしてほおばると、甘みが口いっぱいに広がる。子供の舌にもよくなじんだ。
空豆の、植物としての造作全体が、無駄をいとわずのびのびとしてユーモアがあり、今の世にはやや場違いの「能率を気にしない」豊かさを感じさせる。
空豆の名前の由来は、莢が天を向いてなることにある。空豆は「空(から)」豆ではなく、高きを目指す豆である。聞けば、人類と空豆の付き合いは三千年を優に超えるとのこと。ただし、収穫量は年々減少の一途である。初夏の味覚、いつまでも楽しませてほしい。(六月二十八日)」
以上で今月のメッセージとさせていただきます。ありがとうございました。