母から伝え聞いた戦争の思い出(2015年8月)
2015年8月度のビデオメッセージ
皆さん、こんにちは。今月、8月のメッセージをお伝えしたいと思います。
最近、世の中では戦争が話題になることが多いですよね。私は昭和26年、すでに戦争が終わってから生まれましたので、直接的な思い出は全くないのですけれども、それでも子供の頃からいろいろな戦争の話題に接しました。
私にとって、いまでも一番印象に残っておりますのは、母から伝え聞いた戦争の話です。私の母は18歳の頃にフィリピンにまいりまして、いまでは看護師ですけれども、当時の従軍看護婦としてフィリピンに従軍しました。大変な思いをして、文字通り九死に一生を得て、戦後、終戦の年の12月頃、日本に戻ってきたという経歴です。
母からはいろいろな話を聞きましたけれども、やはり一番印象に残っているのは、戦地が、あるいは戦争が、いかに悲惨なものなのかという話です。特にフィリピンはアメリカ軍が大変熱心に奪還を期した島です。母は野戦病院に勤務して、足のない兵隊さん等、たくさんの悲惨な、死にかかっているような方々、あるいは重症の方々の看護を一生懸命行いました。その後、アメリカ軍がフィリピンに上陸してまいりまして、ひと月かふた月にわたって、フィリピンのマニラの近くにある標高3000mぐらいのプログ山の山頂付近を、10人ぐらいの仲間の看護婦とともに、さ迷い歩いたという経験を持っております。
そして、そのようななかで一番酷かったのは、実際に敵の弾に当たって死ぬというよりも、「飢え」だったということです。食べるものがなく、看護婦は兵器を持っておりませんので、すでに兵隊さんが通った後を弱い体力でついていくわけです。兵器を持っている兵隊さんは、畑を掘り起こして、食べられるものをどんどん持っていきますので、ある意味、まだいいのです。また上等兵は、床下にいろいろな食料を隠しているか、確保しているということでした。そのようななかで、いわば最も食料のない状態で、ひと月かふた月、さ迷い歩いたという非常に悲惨な経験が、私の子供の頃の胸にも非常に深く刻まれています。毎年、母のその経験を思い起こしながら、8月の暑い日々を過ごしております。
ありがとうございました。