教育者としての課題(2015年1月)

2015年1月度のビデオメッセージ

皆さん、あけましておめでとうございます。2015年の年頭のご挨拶をお届けしたいと思います。

かれこれ20年あまり前、アメリカの会社だったと思いますが、「“Who’s Who(人名録)”を出します。そこに貴方も掲載します」というお誘いを受けたことがあり、英語で私のキャリアや職業を記載して載せていただいたことがあります。そのとき私は自分の職業のところに「天文学者」と書いたことを覚えていますが、でき上がってきた人名録をみますと、同じ天文学の研究者仲間の大学の教員達は、ほとんど例外なく最初に「教育者」と書いてあり、「教育者・天文学者」というふうに、職業を並べて書いてあるケースがほとんどでした。一方、日本人の研究者の方々はどうだったかというと、「教育者」と書いている方はほとんどいませんでした。

これは教育に対する日本とアメリカとの考え方の違いをみせつけられたような気がいたしました。決して日本の大学の教員が、教育に対してそれほど熱心ではないということではないのかもしれませんけれども、やはりちゃんと胸を張って、自分の職業として「教育者」と答えられるか答えられないかという違いは、なかなか深いのではないかという気がいたします。教育者として、いかに学生諸君に良いものを伝え、それを理解してもらえるかということは大変難しい課題なのですが、やはり教育者として本当に大事に考えていかなければならない、永遠の課題ではないかという気がしています。

私は授業を行っているときに、折をみて学生諸君に「質問はありませんか?」と問いかけています。たまに質問が出るケースもありますが、多くの場合、手を挙げて質問する学生はそれほど多くはありません。そこで2、3年前に始めたことですけれども、白い小さなペーパーをみんなに配っておきまして、「そのペーパーに何でも気が付いたこと、あるいは質問したいことをメモしてください」とお話しし、それを授業の最後に集めて、みんながどのようなことを書いてくれているのか、みることにしております。そうすると、手を挙げて口頭で質問する人は非常に少ないのですが、紙を与えられると、そこに質問、あるいは感想等を、多くの学生諸君がしっかり書いてくれます。現在、それをみながら、次の授業の展開の仕方に大いに参考にしております。

ここ2、3年になって、ようやくそのようなやり方に気が付いたという意味では、大変、私の恥の部分ではないかという気もいたしますが、授業のやり方、あるいは教授法に関して、どこかのレベルで甘んじることなく、常に新しい手法はないか、そして、より良く学生諸君にメッセージを伝えるためには何が必要なのかということを考え、また試行していきたいと思っています。

ありがとうございました。

【キーワード】 学問・教育意見・エピソード